fu_33’s diary

日常で感じたことを表現します

マジカルミライ2023 大阪公演2日目昼 (前半戦)

前日

応募したのは3月の終わりくらい。当選したのはまさかのSS席。4月初頭にお金を振り込んだ。1万円くらい。

確定していたセトリを何度か復習。良い曲ばかりだった。

前夜

夜にバイトがあった。帰りにチケットの発券をセブンイレブンでした。これにはお金はかからなかったので意外だった。それと、帰り道にスーパーにも寄って水分を買った。ペットボトルに換算して3本分。

バイトのせいで寝そびれたと言っても過言ではない。夜10時に寝るはずが、時計が示すは午前2時前。仕方がないのでセトリの復習をした。

当日朝

朝の4時にアラームが鳴った。すぐに起きれた。少し眠気が残っていたが身支度を進めた。コンタクトを付けるのが少し大変だった。寝不足のせいか、目が乾燥して辛い。

京阪の始発と大阪メトロを経て会場に向かった。京阪線で同じ駅に降りた人の後ろについていったが少し迷った。大阪メトロに乗り換えたあたりから、公演目当てっぽい人たちが増え始める。服に初音ミクがプリントされていたり、法被を着ていたりでびっくり。しかも朝の7時前だというのにインテックス大阪最寄りに至る電車はボカロファンで埋め尽くされた。ぎゅうぎゅう詰めだったので、イヤホンでセトリを復習する暇すら与えられなかった。

会場に着いてからも驚きの連続だった。開場時刻7時ちょうどに着いたのだが、その瞬間目の前の人たちが走り出した。スタッフがしきりに歩いてくださいと言っている。どうやら企画展の入場整理が始まったらしい。一応、注意に従って歩いて並んだ。一つ前にいる方のバッグを見て本日数度目かの驚愕。ミクのぬいぐるみがたくさん付いていたのだ。いや、周りを見渡せば、缶バッジやぬいぐるみで装飾している人ばかりだ。対して特徴の無い自分。これぞ無個性。

とある記事で、大阪の企画展への整列は屋根のない外で待機させられると知っていた。だから日焼け対策として帽子と日焼け止めを持参した。しかしこれらに活躍の機会は見出せなかった。なんと3号館内で待つこととなったのだ。ここで一つ失敗。レジャーシートを忘れた。仕方なく地面に直接座った。待機中はやはりセトリの復習。

 

実はもう一つだけ驚いたことがある。男女比だ。てっきりうちの学部の如くになると思っていたが、実情は5.5:4.5くらいの割合。予想より遥かに女子の多いこと。ボカロファンに対する偏見があっさり覆されてしまった。

企画展前半戦

待機所で約1時間半待ったのだろう。体感40分くらいの無の時間だった。9時になると列が進みはじめた。いよいよ企画展が始まった。まずは公式物販、と言いたいところだったが、そのブースの場所が分からなかったのでしばらくうろちょろした。この間、ミク特集の新聞記事やステッカーなどをもらった。企画展に入場してから20分ほどでようやく公式物販の列に並んだ。その間に貰い物を整理しながらTwitterをチェック。タイムラインに公式物販の販売情報が流れ込んでくる。法被とアルバムが即売り切れ、と。なるほどコミケを戦場と形容するのも納得がいく。同様の光景がまさに目前で繰り広げられた。しかしお目当てのTシャツは十分量の供給があった。おかげで無個性を脱却できた。他にもペンライトやパズルなどを購入して1万弱を溶かした。

公式物販の波から解放されたあとは、他のブースで再び記念品集めに徹した。カプセルトイがあったので並んで引いた。参加型の企画があったのでもちろん参加した。他にもアプリをダウンロードしてチェックインしてみたり、ペンライトの使い方を覚えたり、コスプレイヤーと写真を撮ったりした。昨日の疲労や目の乾燥さえ忘れるほど楽しんだ。大分落ち着いたところで外に出た。このとき、ある一つの後悔が体を支配していた。重い。とにかく鞄が重い。着替えの服など持ってくるのではなかった。これは間違いない。いらない 全てはいらない。

バイトを始めました

記事のタイトルにもある通り、バイトを始めた。塾講バイト。俺はこの1年で様々なバイトを始めてはやめて、始めてはやめての繰り返しだったわけだが、今回はできるだけ長く勤めようと思う。少なくとも1年は頑張ってみる。

さて、この記事では今までのバイトの体験談をまとめることにする。

1. 飲食店バイト

 数回だけ働いてやめた。理由は手荒れ。接客が大変だが比較的良い仕事だと思う。でも俺が通ったところがたまたま良かっただけ説はある。安すぎるチェーン店で働くのと高級レストランで働くのは客層もだいぶ異なるだろうから、ね。家から遠かったのに交通費が支給されなかったのは残念。家からの近接性は大事。あとはまかないが美味しいくらいの感想しかない。

2. 短期バイト1

 配膳業務をひたすらこなすバイトを夏にした。コロナの蔓延により客が少なくなったのでそのままリタイヤ。かなりハードワークだった。1回しか働かなかったのだが、かなり腰にきた。勤務地が涼しかったのでそれは救いだった。拘束時間は比較的長く、帰りは夜の11時過ぎになってしまったのが辛い点だった。夜遅いのはダメダメバイトだからね。

3. オンラインのカテキョ

 応募だけして1回も働いていない←オイ。ノーコメントで。

4. 短期バイト2

 生協の設営バイト。楽だよ。1時間の拘束時間、のはずが15分で終わった。それでもってちゃんと1時間分の給料が支給されたのでおいしい。

5. 短期バイト3

 生協のバイト。楽とは言い難いけど無心で作業してたら終わった。拘束時間は2日間で8時間の予定だったが、こちらも、なんとまあ、1日目4時間(順当)、2日目1.5時間←ヱ?の計5.5時間で終わった。結局8時間分の給与が支給されたのでおいしいバイト。

6. 短期バイト4

 生協のバイト。短期バイト2と同質のバイト。

それで今に至る。バイト選びのコツを経験談からいくつか。家から遠いのはやめとけ、夜遅いのはやめとけ、時給が相場より明らかに高いバイトはやめとけ(うまい話には裏がある)、生協のバイトは最低賃金同等の時給だが、実は拘束時間が短くなるケースがあっておいしいので暇な時に応募すると良い、車校とバイトの両立は難しい、少しは妥協しよう、とかかな。ところで最近働き始めた塾講バイトも勤務地が家から微妙に遠いってマジすか。終わった。

 

バスより自転車が速い町

地方出身の人は特に驚くべき内容だが、京都市はバスより自転車の方が速いことがある。もちろん自転車で行ける場所は限られてる(駐輪場の無いエリアには行けない、めっぽう遠い所には行けない、等)し、その日の交通状況にも依るが、休日の昼間なんかはたいてい自転車の方がスムーズに移動できる。その原因を2つだけ挙げよう。

まず停留所の数が多い。京都は観光資源に溢れているからなのか、かなり狭い間隔でバス停がある。バスは客の乗降者のために停車を余儀なくすることになる。

そして次に挙げる原因こそが今回議論したい内容である。交通渋滞だ。京都では往々にして交通が滞る。

さて、この話の前座として、俺が京都に来てから驚いた(むしろ呆れた)ことを述べておく。それは車に対する交通弱者である歩行者が、あまりに周りに気を配らないことである。先に断っておくが、俺は歩行者が悪だとは言っていない。歩行者の大体は(歩きスマホ等を除けば)交通ルールを遵守している。守っているから悪だとは断定できない。この点は勘違いしないでいただきたい。俺がびっくりしたのは、右折車や左折車が横断帯の手前で止まっているときもノロノロと歩く人々である。俺の地元では有り得なかったことだ。地方の常識を京都に当てはめるのはナンセンスだと思うかもしれない。もっともな意見だ。都会では、ことに京都ではこのタイプの人間がスタンダードなのであろう。しかも、歩行者は別にルールを守っているし、車は人がいる横断帯の手前では止まるのがきまりである。だから問題は無いと主張してもおかしくない。

しかしだ。あまりに前述した事象が多いように感じる。この記事を読んでいる道徳的な諸君は、横断帯にいるときに車が近づいてくるような場面では(もし走れるような状態であれば)小走りか何かをするだろう。そういう姿勢が京都では全く目につかないのである。10人いて10人全員が我が道をゆっくり歩いている。はっきり言って不気味だ。10人いた場合、その中に誰か一人でも走れない状況にある人がいたなら、なるほど急いだところで意味が無い。ならば集団で横断歩道を進むときは走らなくても良いかもしれないが、では横断帯を行く者が1人だけだったらどうか。急いで渡った方が良いというのが真っ当な意見だ。だが残念なことに、俺がこういうシーンを観測したとき、その歩行者はやはりマイペースであった。観測した人は特に重たい荷物や貴重な品物を携帯しているようには見えなかった。しかも年は若く、おそらく軽い運動は可能だった。もしその人が横断帯の手前の車に気づいていないのならば大問題である。流石に交通安全への意識が低すぎる。だが、気づいていて無視しているのなら、これはこれで倫理観を疑う。早く渡ってあげれば車は余裕を持って曲がれることくらいは考えなくても分かることだ。だがノロノロと歩く。

俺はこれを一種の傲慢だと解釈している。交通弱者の傲慢だ。歩道帯ではゆっくり歩いてもルール上は問題無いから別に良い。もし自分に車がぶつかっても罪に問われるのは運転手だから大丈夫。そんな考えが染み付いてしまっているからではないか。悲しいことに、この傲慢が一番露見される瞬間がある。人が、歩行者信号は点滅しているのに歩道帯に駆け込みで進入して、それで赤信号になっても悠々と歩くときだ。彼らは歩道帯が歩行者にとっての絶対的な安全地帯だと勘違いしている。信号が赤なら通常その通行は認められていない。それなのに彼らは歩道帯上では車が譲ってくれるという考えに甘える。小学校や中学校で、道路上は予想外の危険がいっぱいだと教えてもらわなかったのか。非常事態が迫っているかもしれない状況でなぜそこまで呑気なのか。

何も歩行者に限った話ではない。自転車もすれ違う時にスピードを落とさない。これも俺の地元では全く聞かなかった話なので心底驚いた。事故さえ起こさなければ良いとでも思っているのではないか。すれ違う人に恐怖を与えることを忘れているように感じる。

ルールを守ることは当然である。歩きスマホは話にならない。だがルールさえ守ればそれで十分なのかと問いたい。俺は全く不十分だと思う。今我々に足りていないのはモラルだ。思いやりの精神だ。規則はあくまで土台であり、それだけでは快適な生活を実現しえないと肝に銘じておくべきである。

京都の交通渋滞はバスが原因として言及されることが多々ある。しかし、そのバスの遅延に歩行者が寄与してしまっていることも忘れてはならない。奇しくもバスと自転車の逆転現象が起きるこの町では、その皮肉を共有する暇もなく、バスは運行しているのである。